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気軽に読めるうつの本

著者の細川貂貂(てんてん)という人は、レディスコミック誌でイグアナの漫画を書いていた漫画家さんである。
漫画と言っても、どちらかというと癒し系というか、脱力系というか、シンプルなイラストっぽい作風で、書いてる内容も、自分が飼っているイグアナの話が主。
「ダーリンは外国人」とか「毎日母さん」とか(西原さんのような毒はないが(^^;))みたいな感じかな。
その漫画に「ツレ」として時々登場するのが彼女の夫。
貂貂さんのイラストからすると、優しそうでいい感じにとぼけている旦那様だった。
その旦那さんが突然専業主婦になった、とある時描いてあったので、「大丈夫なのか?それで」と、実は心配していたのだ。
だって、どう見ても売れっ子漫画家じゃないし、連載はストーリー漫画じゃなくて、4コマ系だからページ数も少ないし。
同じく「フリー」として働いている身としては、旦那さんを専業主婦にできるほどの甲斐性ったらどんなものか、骨身にしみて解るからである。
(私には到底できない。恐ろしくって。学生になるのは許可したけど、バイトはしてるし)
それが、この本を読んでみて、理由が分かった。
旦那さんはうつ病になって会社を辞め、専業主婦になったらしい。
これは、「ツレ」さんが、うつ病を発症する前の段階からの1年間を、この作者ならではの漫画で描いた作品なのだ。

今の日本の社会では、うつ病患者はとても生きにくいに違いない。
社会の構造もそうだし、日本人のきまじめな性格からしても。
でも、この本の見所は、「さぞかし大変なんでしょう」と、頭から決めつけてかかるうつ病への先入観に、スコンと肩すかしを食わせるところにある。
確かに「ツレ」さんは大変だ。
そして、貂貂さんだって、もちろん大変だ。
でも、貂貂さんの作風は、さすがに癒し系。
肩肘張らずに、うつ病ってこんな風なんだねと思える。
そして、今の暮らしの中では、みんながかかる可能性がある病気だということも素直に解ってくる。
闘病ものって、あまりにも深刻すぎてなんか読むのが辛かったりする。
で、本から遠ざかるのと同時に、今その病気にかかっている人たちとも遠ざかりがちだ。
「なんか、辛そう」って。
でも、辛いけど、前を向いて少しずつ歩いていけば、自分を完璧だと思いこまなければ、やっていける病気なんだね、とこの本を読んだら思えてくる。
こういう、素直で、読みやすくて、肩肘張らない闘病もの、もっとあればいいのに。
できれば、文庫サイズでお値段も安くしてもらえれば、みんなもっと手に取りやすいと思います。
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テーマ : 紹介したい本
ジャンル : 本・雑誌

グロテスク

初対面からうち解けられる人と、そうでない人がいるように、
取っつきやすい作家と、そうでない作家がいる。
それはもちろん、人それぞれで、私の場合は、取っつきやすかったのが宮部みゆきさんだった。
「模倣犯」のように、かなり辛い話でも。
逆に、苦手意識が先立ったのが、桐野夏生さんだ。
かなりの力量と感じ入りながら、それが故にか、「OUT」は、ついに読了できなかった。
ページをめくらせる筆力はさすがなのだけど、主人公たちの醸し出す、あまりに濃密な息苦しい空気に取り巻かれているような気がして。
「顔にふりかかる雨」も、「柔らかな頬」も、読んでは見たけど、辛かった。
じゃ、読まなきゃいいのに。
はい、ごもっとも。
でも、読みたくさせるんだよね。
本読みの好奇心をくすぐる作家なのだ。
というわけで、新刊発売当時、「読みたい」と思いつつ、「いや、きっと辛くて読了できない」と思い悩んで、手を付けられなかった「グロテスク」が文庫で出たので、ついに勇気を奮い起こして読んでみた。


主人公は、スイス人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。
だけど、顔立ちはほとんど母に似ていて地味である。
逆に、妹の「ユリコ」は、まがまがしいほどに完璧に美しい少女だった。
主人公は、ユリコの美しさを憎み、姉妹としての情を通わせようとはしない。
人の心を狂わせるユリコは怪物であり、美しいだけで、頭の中は空っぽの女、と断じていた。
主人公は、必死に猛勉強して入った私立の女子校で、二人の少女に出会う。
かたや、学年トップの成績を取り続けるミツル。
もう一方は、「努力すれば何でもできる」という信念に凝り固まっている佐藤和恵。
小学校から内部進学で進んでくる、裕福な女生徒たちの中で、ミツルも、和恵も、主人公も、異質な存在として浮いていた。
ミツルは頭脳を、和恵は努力を、主人公は悪意を心の軸に、女子校生活を生き抜こうとするのだが、そこに、ユリコが入学してきてしまい、彼女たちの関係はねじれにねじれていく。
そして、年月は流れ、美貌が衰えたユリコは、かつて予感していたように、立ちんぼの娼婦として殺され、ミツルは夫と共にカルト宗教に入信して大きな事件を起こし、そして和恵もユリコの後を追うように娼婦として殺される。
残された主人公は・・

というようなストーリー。
いつものように、どんどん次のページが読みたくなる。
そして、読み進むうちに、登場人物の毒気に当てられる。
何しろ、東電OL殺人事件とオウムという巨大なモチーフが一つの作品に同時に登場するのだ。
加えて言えば、「蛇頭」まで。
しかし、それらは「社会の中の事件」としてではなく、それぞれの女たちの濃密な憎しみ、自己認識、錯覚、等などの中で生まれ出て、そしてその結末として消化される。
その分、女たちの抱えているものは、触れるだけでネバネバと、こちらにまとわりついてくるように感じる。
例えば、妹の美しさを呪詛する主人公は、常に「ユリコの姉」としてしか認識されておらず、名前すら与えられていない。
誰も彼女を名前で呼ぶものがいないのだ。
その分、彼女の妹に対する憎悪が倍加して感じられる。
妹とは逆に、男を好きになったことも愛したこともないという彼女は、果てしのない自己愛の中でしか生きられない。
努力すれば何でもできる、努力したから一流女子校、大学を経て一流企業社員に昇りつめたと自負する和恵は、企業社会の中で、目に見える努力の成果が現れないことにいらだつ。
娼婦としてお金を稼ぐことは、彼女にとって目に見えた成果だった。
夫と共に大きな社会事件を引き起こしたミツルは、それによって傷ついた他人に対してほとんどまなざしを向けようとはしない。
彼女は被害者の一人として存在しているかのように振る舞う。
恐ろしいほど身勝手で、自己中心的な女たち。
それでも、彼女たちを軽蔑したり、あざけったりできないのはなぜだろう?
愛すべきところなど一点もなさそうな女たちなのに。
けれど、彼女たちの何かが、自分の中に存在していないか?と問うと、ひやりとするものを感じる。
渋谷の薄暗い街角で客を待って立ちつくしているのは、コンビニでおでんを買って、おでんの汁をすすりながら歩いているのは、和恵ではなく、この自分ではないかと。
「あり得ない」と断じながら、和恵と自分を重ねてみる人は多いかもしれない。
すくなくとも、「東電OL殺人事件」が世に出たとき、「私も彼女のようになるかもしれない」「彼女に共感する」という女性からの手紙が、筆者の元に数多く寄せられたという。
両作品とも、読み進めるのは辛い、痛い。
読了した後、溜息が出る。
多分、二度と読み返そうとは思わないだろう。
それでも、しっかり脳裏に焼き付いてしまった作品、といえるかもしれない。

テーマ : 読んだ本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

殺した方が負け~死と彼女とぼく~

まったくもって腹が立つ!
最近の新聞記事を読んでいるとたびたびこのようなことが起こるのだけど、今日は特に。
今朝の朝日新聞の記事によると、処分されるペットは増加の一途をたどっていて、しかも有料でセンターに引き取られることによって、罪悪感が薄れているという。
たった1000円で殺されてしまう犬や猫たち。
たとえどんな生き物であれ、自分が飼っていたペットを捨てたり、処分してもらったりすることが、どうしてできるんだろう?
どうして罪の意識を持たずにいられるんだろう?
飼っていたペットを捨てたり殺したりする人間が、家族を大事にできるはずがない。
「命の大切さ」なんて子供に教えられるはずがない。
どんな生き物も、小さいときは可愛らしく、大きくなるとその可愛げはうすれて、老いると世話が大変になる。
犬でも人間でも同じことだ。
それを、金を払うから処分しても良いと思うような人間は、自分も年老いたとき、同じような目に遭うのだ、きっと。
当てにしていた家族から捨てられて、惨めな末路をたどれ!と、心から思ってしまう。
どんなに「泣ける」という映画を見てもしらけたりする私、ところがけなげな犬の姿を見ると1シーンで涙が吹き出す。
そんな犬好きからすると、犬を捨てる、殺す(センターに引き取らせると言うことは、すなわち殺すことなのだ。それも自分の手を汚さず。卑怯この上なし!)ような人間は悪鬼に等しい。

と、犬に関しちゃ、ともすれば感情的になる私に必要なのは、この作品。
これを読むと、「うむうむ、因果応報だよなぁ」と、深くうなずいたりする。

主人公の少年は、死霊が見え、死霊と話をすることも、死霊に触れることもできる。
死んだ母譲りの才能?らしい。
うちで飼っている犬やネコとも会話できるのだ。
もちろん、そんなことは隠している少年が、同じような能力を持つ少女・ゆかりと知り合う。
ゆかりは、彼同様死霊が見え、死霊に話しかけられたりする。
彼らが見る死霊は、何らかの原因でこの世にとどまっている、さまよう幽霊だ。
あるものは失恋して自殺した心の痛みがのこり、あるものは殺された恨みが残って、「成仏」できずにいる。
そして、心にどす黒いものを持っている死霊は、恐ろしいほどに醜い。
中でも、人や動物の命を絶ったものは、その周囲に目にしたくないような醜悪な霊をまとわりつかせている。
そして自らも、死んだ後は醜く疎まれ、成仏できない死霊としてさまようことになるのだ。
ときとして死霊の念の強さに巻き込まれそうになる二人だが、互いを思い合い、死霊が生きていたときの姿に思いをいたす彼らは、何とかそのトラブルを乗り越えていく。
やたらとオカルトチックな作品は苦手な私だが、この作品の持つ死生観は納得できるし、読後感も爽やか。
今の世の中でだんだん無くなりかかっている「倫理感」がちゃんと盛り込まれていて、ホッとする面もある。
絵が怖いときもあるけど、それも、モラルを失った人間がどうなるかを示すものだから、よし。
勧善懲悪なんて古いぜ、と思えない私にとっては、不思議な清涼剤になる作品だ。

宮部さんの新作

宮部みゆきさんの新作です。
前作「誰か」に続く主人公で、無差別連続毒殺事件という、「誰か」よりもハードな題材を扱ってます。

主人公の杉村三郎は、超巨大コンツェルン会長の娘と結婚し、義父の会社で社内誌を作っている心優しい夫。
誰もがうらやむような逆玉に乗ったものの、義父の会社で出世しようとか、財産の分け前を狙おうとかいう野心は全くなく、妻と娘をこよなく愛する良き家庭人で、社内でも「会長の婿」という立場に微妙な視線を感じつつ、威張るどころか身を低くして一生懸命仕事をしている。
そんな平凡?で穏やかな暮らしをしているはずなのに、なぜか彼の元には事件が舞い込んでくる。
弱っている人を見ると放っておけないお人好しな性格のせいかもしれないが。
無差別毒殺事件が起きる中、彼は社内誌を作る編集部の中で、仕事もできないのにヒステリックでやる気のないトラブルメーカーをアシスタントとして抱え込むことになる。
同じ頃、毒殺事件の被害者の遺族である女子高校生とも知り合い、トラブルメーカーが巻き起こす嵐のような騒ぎと、毒殺事件の謎に巻き込まれていく。
そして、まったく関わりの無かったはずの二つの事件は微妙に彼の生活の中でシンクロしていき、やがて暴風雨となって、彼の生活を脅かす・・
というストーリー。
そこには、シックハウス症候群よりたちの悪い、「土壌汚染」という社会問題も織り込まれ、「へぇぇ、こんなことがあるんだ」と、目を開かされる。
このあたり、宮部さんらしい。
でもやっぱり宮部ワールドらしさを感じるのは、直接本筋とは関わりのないと思われる登場人物のキャラクターであったり、彼らが主人公に向ける視線であったり、逆に主人公が彼らに寄せる思いであったり、映像化されるときに切り捨てられてしまう枝葉の部分なのだ。
例えば、編集部にいる定年間際の副編集長や、ちょっと見ると毒舌家の女性編集長、はきはきして感じのいいアルバイトの女子大生、お調子者で如才ない若手社員・・彼らの言動は直接には事件を解く鍵にはならないけれど、彼らの考え方や生き方を映したせりふやちょっとした振る舞いがあるから、主人公の立ち位置が鮮明化され、作者の思うところが端々に現れたりする。
確かに事件が起これば、視線は犯人や謎とき役に向かうのだけれど、そこだけを追った小説は、味気ない。
事件の意外性やトリックばかりを追いかけていくことになるからだ。
でも、事件の起こる世の中にはいろんな人が生きていて、そのいろんな人たちが、事件が起きる「社会」や「世間」を構成しているのだ。
そこまでひっくるめて事件を見ることができるから、宮部さんの作品は無機質にならず、どこか人肌のぬくもりを感じさせる。
それが宮部ワールド、と私は思っていて、常日頃映像化される作品を見るたびに、「ああ、宮部ワールドをずたずたにしてる」と憤ることになったりするのだ。
もちろん上映時間を考えると、私の望んでる宮部ワールドをそのまま作り出すのは難しいんだろうけどね。

しかし、やっぱり、けど、でも・・
どんなに人肌を感じさせても、舞台が現代ってのはなんか殺伐。
悲しい結末に泣きながら、それでも読後希望を感じられるのは時代小説だわ。
もう一回「孤宿の人」を読んでみようかしらん。

テーマ : **本の紹介**
ジャンル : 本・雑誌

僕たちの戦争

「明日の記憶」以来、注目を浴びている荻原浩氏。
今度は「僕たちの戦争」が、ドラマ化されるらしい。
さもありなん、この小説、いいもん。
荻原さんらしいユーモラスな筆致が、戦争という局面にいる若者たちの姿を、妙なリリシズムや愛国心にとらわれることなく描き出す。
戦争物というと、自分たちとは縁遠いと思われがちだけれど、この小説は若者たちにもきっとしっくり来るはず。
なにしろ、フリーターのサーファー少年・健太が、何の因果か太平洋戦争末期にタイムスリップし、あろう事か、自分にそっくりな特攻隊員・吾一と間違えられて、軍隊生活を送るという話なのだから。
そして、その吾一は、健太と入れ替わるように現代に漂着しており、健太として、健太の両親や、恋人のミナミに囲まれて過ごすことになる。
こりゃあ、吾一は儲けもん、健太はかわいそう・・って事になるのだろうが、吾一は何とか過去に戻ろうとする。
数日後には敵艦につっこんで死んでしまうかもしれない時代へ。
健太は、あまりにも恐ろしい時代に放り込まれながら、かろうじて生き延びていく。
その間に、さまざまな若者の生き様、死に様を目にしながら。

特攻隊員になってるのに、相変わらずどこかノーテンキで、「マジ?」を繰り返す健太と、マクドナルドの看板を「敵国語!」と目の色変えてにらむ吾一。
この辺りの二人の若者の様子が、いかにも荻原さんらしい。
こういう小説、もっと読んだ方がいいよ。
だんだんきな臭さを感じる時代だからこそ。
そう考えると、ドラマ化はいいかもしれない。
9/17、TBS系で放送ですってさ。

テーマ : 戦争
ジャンル : 本・雑誌

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ブラジリアンダンスとブラジル音楽、本と旅をこよなく愛する「恥かき」ならぬ「物かき」です(一応(^^;))。独断と偏見と偏った嗜好でつづるブログでございますが、どうぞお気軽に遊びに来てくださいませ。

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